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2009.01/26(Mon)

由美子&みゆな報告~その③


<干潟>
 お昼の牡蠣焼きはおいしくて、とても楽しい時間でした。干潟の水をぬいてす
ぐの時、泥土の上はぎっしりの貝で真っ白だったそうで、こんなに貝がいたのか
と驚いたと時津さんも言っておられました。牡蠣も今はなかなか獲れなくなっ
て、佐世保や大村のものが多いそうです。後で立ち寄った大良漁港も、蟹名物の
旅館や店がたくさん並んでいましたが、今は蟹が獲れなくなってしまい困ってい
るそうです。
 食後、潮受け堤防の上の湾を分断する道路を車で走りました。テレビでも何度
も見たギロチンの部分も含めて約1.2キロメートルの潮受け堤防の上が、今は道
路になっています。その外側が諫早湾、内側が調整池です。調整池の水質はあま
り良くならず、貝やムツゴロウたちの自然浄化作用がなくなったのだから当然な
のですが、農水省は頭が痛いところなのだそうです。
 それから夕方の引潮に合わせて佐賀の側にある干潟に連れて行ってもらいまし
た。堤防を降りて行くと、そこに見えた風景は、何と美しかったことでしょう。
なめらかな泥のひだが夕日に光りながら沖へ続いていました。浮き桟橋の先まで
行って泥を触ってみると柔らかく、暖かく、娘を生んですぐにまだきれいに拭い
てもらう前に触った新生児の触り心地を思い出しました。みゆなは「この中でム
ツゴロウさん冬眠してるの?暖かそうだね。」と言いました。
 その後、時間のない中、時津さんが見せたかったという河口の干潟も見せても
らうことができました。ゆるやかな泥の曲線が海に向かって行く景色はやさし
く、とてもすてきでした。「昔は諫早に流れ込む川の河口はみなこんな風景だっ
た。この景色が私は一番すきなんだ。」と、時津さんは言っておられました。時
津さんのお話で、私が一番心に残ったのは、「ムツゴロウのいるあのすばらしい
干潟の風景は、土地の人には当たり前のもので、よそ者の自分が何を言うかと
思っているかもしれないけれど、よそ者だからこそわかる価値がある。」と言わ
れたことです。東京の何の関係もない私たちが、諫早のミュージカルをやること
に、何だかイメージが湧かないような、少し胸にひっかかるものがありました
が、その言葉が勇気をくれました。そして、日没近くに見た夕日に光る干潟のや
さしい風景を愛おしいと思えたことで、胸のひっかかりが消えていきました。
 時津さんと車を同乗したおかげで聞くことのできたことを、みんなに伝えたい
という思いで長文になってしまいましたが、そのわりに思うように書けませんで
した。とりあえずこのくらいにしておきます。
 最後に、お土産にみんなで買い占めたかけしょうゆの簡単レシピを一品。
<油揚げのふりかけ>
油揚げを小さな5センチ以下のダイスに刻み、乾煎りして、かけしょうゆを回し
かけ、更に香ばしい香りが立つよう少し焦がすように煎る。火を止め、炒り胡麻
を混ぜて出来上がり。ふりかけとしてご飯にかけたり、豆腐にかけたり。日持ち
もいいですよ。
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16:17  |  諫早レポート  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2009.01/26(Mon)

由美子&みゆな報告~その②

<2日目・干拓地>
 2日目は諫早湾の見学。私の乗せてもらった車に時津さんが同乗されたので、
車中でいろいろなお話を伺うことができ、随分得をしてしまいました。
 ホテルを出発した時は雪が舞っており、出島バイパスを通って諫早へ向かいま
したが、トンネルから出る度に雪がひどくなり、雪国のように粉雪が横に舞い上
がる吹雪でしたが、いくつか目かのトンネルを抜けると明るく日が射し、諫早は
うそのように晴れていました。5年前に開通した出島バイパスは長いトンネルが
いくつもいくつも続く、山を貫いて通された道で、これだけのトンネルを掘ると
大量の土が出ます。それを使うために湾に埋立地を造り、使い道がないので美術
館とAIGコールセンターを誘致したのだそうで、大きな立派な建物が建てられて
いました。
 干拓地を見渡せる場所に着き車を降りると、想像もしていなかった広い広い農
耕地がはるかかなたまで続き、ポツン、ポツンと小さく見えるのは給水ポンプと
排水塔だけでした。給水ポンプの建物は自然との共生を意識した建物だと聞き失
笑してしまいました。そうそう、私は干拓地と埋立地がごっちゃになっていまし
たが、干拓地は潮止めにより水をぬくだけで、埋立地のように土は一切入れない
ということを時津さんの話で初めて知りました。干拓地の中を車を走らせなが
ら、道の両側のだだっ広い農耕地を見ていると、農作物も見えているのに、ふる
さとの田舎の農村にある田園風景とは全く違う、冷たいよそよそしさを感じまし
た。人家も小川も小山もないこの農耕地には人の匂いがしないからかなと、まり
姉さんや野崎さんと話ました。車の中からチョウゲンボウが小動物を狙って舞い
降りるのも見え、確かに生き物はいるはずなのに、何故かその息づかいさえ感じ
られないのでした。
 観光地化を進めているそうで、そのための施設のボーリング工事が行なわれて
いる横に案内板が建てられ、環境保全型の事業を強調したいのか、新しい生態系
が生まれていることを誇らしげに、野鳥やカヤネズミやイタチの写真が掲示され
ていました。
 干拓地と調整池の間には、干陸地と呼ばれる背の高い葦の原が、これまた見渡
す限り広がっていました。ここはもし開門したら干潟に戻る可能性のある土地で
す。見晴し台から眺めながら、一日も早く開門が実現すればいいのにと思いました。
 車に戻る途中で何か土色の猫くらいの大きさのものがさっと草の間に逃げて行
くのを見ました。いたちだったのでしょうか。ふっと、ここがまた干潟に戻った
ら、今ここで暮らす新しい住人たちはまたどこかに逃げて行かなければならない
のかなと思いました。・・・人間の勝手。
 干拓農地の土の中には今も貝殻がたくさん混ざっていましたが、貝殻がごろご
ろしている砂浜とは違って、黒い土に白い貝殻が混ざっている様は貝たちの墓地
のようで、その上にタマネギなどの作物が育っている眺めは何か奇妙でした。そ
の土質はリンやカルシウムが豊富で窒素だけ補えばよく、農作にはとても良いの
だそうです。干拓地の農業の難点は、水質と、海からの風だということでした。
作物は飼料用が全体の1/3だそうです。(つづく)
16:14  |  諫早レポート  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2009.01/26(Mon)

由美子&みゆな報告~その①

<1日目・原爆資料館>
 諫早出発の前日、みゆなが熱を出し、そのまま高熱になれば参加断念かとも思
いましたが、朝までには下がったので2人で参加することができました。いつも
より少し元気がないみゆなでしたが、本当に行けてよかったと思っています。
 1日目は、原爆資料館を見学。みゆなにはまだ刺激が強いかとも思いました
が、ロラに参加したことで戦争というものを知り、子どもなりにいろいろ考える
経験をしたので、折角の機会だと思い見せることにしました。入口すぐのところ
から展示される被爆者や被災地の写真や遺品などに驚き質問してくるので、説明
しながらしばらく見ていきましたが、「見ていたら気分が悪くなってきた。吐き
そう」と言い出しました。後は抱っこして足早に回って外に出ましたが、車に戻
るとポロポロ泣き出し「みんな死ななければよかったのに・・・。」と。「そう
だね。あんな爆弾は落とさなければよかったね。戦争しなければよかったんだ
ね。もう二度といやだね。」その時まり姉が「だからみゆなはロラもやったし
ミュージカルでみんなに伝えてくんだよね。」と言ってくれたことを、夜、ベッ
ドの上で思い出したように言っていました。夕食の時には、時津さんに「ムツゴ
ロウさんは原爆の時みんな大丈夫だったのか聞きたい。」と言うので「どうし
て?」と問うと、原爆資料館でジオラマに被害の範囲が広がっていくのを光で示
す展示を見た時、海の方も赤くなってたからと言うのです。私は思いもしなかっ
たので、そんなことを考えながら見ていたことに驚きました。気分が悪くなって
も、涙が出ても、この日みゆなが見たこと感じたことは、いつか忘れてしまった
としても、大きな何かを彼女の中に残してくれたのでないかと思います。(つづく)

16:12  |  諫早レポート  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
2009.01/18(Sun)

諫早レポート yukiko

長崎の原爆資料館・・・、高校の修学旅行で広島の原爆資料館に行ったときは、ただ怖い、自分の上にこんなことがあったら絶えられない・・・恐怖感のみでしたが、子を産み育て、少しばかり余分に経験を重ねた今では、一言では言い表せない色々な思いが巡りました。
 わたしは、特に、亡くなった人の作品を見たときがいちばん心が締め付けられました。どんな思いで描いたのだろう。無念だったろう・・・悔しかったろう・・・・。長野県の上田市にある無言館へ行ったときにも感じましたが、本当に一握りの勝手な人たちのために潰された可能性に悔しさを感じました。
 平和記念館の近くに死んだ?こどもを抱いた母子像、スカートのひだに金の花が散らばって印象的でした。
 
 稲佐山からの夜景・・・、360°を見渡せる山頂から夜景を見ました。東京の夜景もきれいだけれど、山や港に挟まれて細長くのびる街の灯が水に映ったりして、印象的な、暖かな風景でした。(本当はとっても寒かったですけど・・・)丁度、原爆資料館で見た、原爆投下のシュミレーションの模型と重なりました。この美しい街が一瞬にして壊されたのか・・・。

 干拓地・・・、「土地の少ない日本が、土地を増やすために行った素晴らしい事業。」と小・中学校の社会で教わった。子ども心に、すごいなあ・・・、埋め立てより効率が良さそうだと感心した覚えがあります。受験にも出た重要語句。雲のかかった雲仙普賢岳まで続きそうな北海道みたいなタマネギ畑が最近まで海だった・・・・。有機肥料のいっぱい入った畑・・・。
 わたしのふるさとのすぐ近くに長良川という一級河川があります。そこは、最近まで本州でただひとつダムや堰のない川として有名でした。鮎やシジミが捕れなくなると反対されていましたが、河口堰が何年もかかって作られてしまいました。海と干拓予定地を分ける堤防道路を走ったとき、この河口堰を思い出しました・・・。

 干潟・・・、大潮だけれど干潮は朝早いから見られない・・・・。いや、朝早くてもなんとしてでも行けないモノか・・・。勇志で誘い合って行こう!翌朝は雪の予報、チェーンは?それでも・・・と意気込んでいたけれど、夜明け前だというので、時津さんが全員で行けるように夕方の時間を設定して下さいました。当初計画の干拓の里を変更したので本物のムツゴロウに会えないことは残念だったけど、「水族館のムツゴロウは痩せて可哀想。見るなら来年の5月に干潟に見に来て下さい。」との時津さんの言葉に納得・・・。本当はその時はまだ納得しておらず、「有明の寿司屋の水槽にでもいるかもしれんね。」というタクシー運転手さんの言葉に、なんとか寿司屋に立ち寄って本物の色や形をみられないモノかと思っていました。でも、本物の干潟の衝撃的な印象に、その思いは消え、いつか5月の元気なムツゴロウたちに会いたい!という思いに変わりました。
 
 美しさ、楽しさを表現する・・・神山征二郎監督の「ふるさと」(1983)という映画では、ダムに沈もうとする村の故加藤喜さん扮するじいとこぼ(こども)の自然の中のふれあいが描かれていたように思います。徳山村はわたしの家に近く、とてもきれいな村でした。今はダムの底ですが、そのダムも、完成当時には必要ではないものだったと、聞かされた覚えがあります。
 「ふるさと」では、とくに、「自然を返せ!」などと訴えるのではなく、ただ淡々とその風景が美しく叙情的に描かれていたように思います。だけど、長い年月が経った今まで、自分の中に強く印象に残っており、その時に公共事業って?という疑問がわいた覚えがあります。
 だから、わたしたちが舞台でどれだけ、歌、ダンスで、亡くなってしまった諫早の海が、どんなに暖かで楽しくて希望があって・・・ということを表現できるか・・・っていうことじゃないかと思います。

 時津さんありがとうございました。span>わがまま言って、Aコープにまで案内させてしまいました・・・・。おかげで家族に安くておいしい「ちゃんぽん」を食べさせることができました。数々の失敗をお許し下さり暖かくおつきあいしてくださったツアーの皆様ありがとうございました

10:24  |  諫早レポート  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑
2009.01/16(Fri)

諫早の生き物を想うby rain

遅くなりましたが諫早レポートです。
本名非公開なのでアレ?っと思われる方いらっしゃると思いますが集合写真の黒尽くめちゃんです 笑

ギロチン水門が下ろされた時、私は4歳で、何も知らないまま大分に住んでいました。生き物が大好きな子供でした。今の私はそんな頃のことは記憶の片隅で日々、目の前にあることにいっぱいいっぱいですが、今回の諫早ではそんな生き物が好きだったことばかり思い出されました。見たきた景色は渇いた農地、干拓地、水門、そして干潟。水門には只只、違和感しかなくて、地球にある自然の海が人間によって造られたたった一本の直線で仕切られてしまったことが悔しかった。見てきた干潟のような光景が、今回は冬だったから生き物達は見れなかったけど、あの渇いた土地一帯に広がっていたと思うと失ったモノの大きさが在り在りと感じられました。
かつてそこにいた生き物達の写真を見て、どうして生き物達を殺したのと、湧いてくるのは怒りばかりで、私は人間だから怒るというのもおこがましいのかもしれませんがどうしてもそう思ってしまうのです。きっとそう思うのが幼かった頃の生き物が大好きだった私なのでしょう。
今回のテーマはキジムナーより、ロラマシンより、憲法というものを私に感じさせてくれる、そんな風に感じた旅でした。
15:19  |  諫早レポート  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2009.01/15(Thu)

諫早のこと まり姉

何も下調べしないまま参加させて頂き、現地を見て疑問ばかりでした。巨大な干拓地は気持ちが悪いほど広く冷たく乾いていました。誰が誰の為に莫大なお金をかけて、この大自然を破壊したのか?渡り鳥、ムツゴロウや魚介類、さまざま生物、海、川、風、雨…果てしない時間を共存しながら、造りあげてきた干潟は人間の為のものではなかったはず。もうもとには戻れない後悔はしないの?誰かが儲かるの?誰かが権力を持続できるから?決めたらやめられない、謝れない、全部自分の為…人間の為。諫早以外でもすぐそこでもありえる人間の傲慢さを、あの深くて暖かい残り少ない干潟を見て同じ人として怒りと情けなさを感じました。
まり( ̄ー ̄)

11:31  |  諫早レポート  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2009.01/15(Thu)

諫早に行って・・・kiriya

誰が幸せになるために行われたこと何だろうか…
堤防の為の石は自然石だという
どれだけの山が削られたんだろうか…

それらはとても人工的で悲しい風景でした。

最後に案内していただいた佐賀県鹿島市の干潟はその光景を目にした瞬間、心の針がプラスに振れ、走りだしてしまいました。
寒さを忘れさせてくれるぬくもりがありました。でもとっても寒かったんですけど雪舞ってましたし…
この手で感じた泥のなめらかな感触は感動でした。
泥をこの手で感じられただけで今回諫早ツアーに参加して良かったと思いました。

キリヤ ナミ
11:29  |  諫早レポート  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2009.01/15(Thu)

諫早で 理恵&陸

諫早湾ツアーに行く前、ムツゴロウの写真を見て、「ム・ツ・ゴ・ロ・ウ〜!!」と言いながらムツゴロウになりきり飛び跳ね、一瞬芸の一つにしていた息子、陸3才。
 
 帰京後、いつものように、、、
私「陸、ムツゴロウやって〜!」お願いすると、
いつものように、陸は、ムツゴロウが飛び上がろうとする前の準備のポーズを決める。
が、しかし、そこからはツアー前のように飛び上がれず、そのままストップモーション。
陸「ムツゴロウ死んじゃったから、飛べない、、、。」
何度、「ムツゴロウやって!ムツゴロウやって!!」と、お願いしても、ストップモーションのまま同じ回答が返ってくる。

 『なんとしても干潟を一目見たい!』ツアーメンバーのたっての願いから、佐賀県鹿島海岸まで車を走らせ、干潟とご対面、、、
私「陸、一緒にドロさわろう〜!!」誘ったが、
陸「いや!いや!!怖い、、、!!怖い、、、!!」
人間が山を切り崩し住み着いている、東京町田で生きる陸には、大自然の干潟を『怖い』と感じたようだ。
一度触れたら、そのまま引きずり込まれそうな雰囲気が漂うドロの世界、干潟、、、。
私は、こわごわ触れてみた。
すると、何とも優しく、柔らかで、このドロの中に頭までつかりたい!!気持ちになった。
そうすれば、人間のふるさとに帰れるような気さえした。
それを感じ取ったのか、、、。
陸「ドロさわりたい〜!!」突如、叫び出した。
しかし、時すでに遅し、早く出発しないと、帰りの飛行機に間に合わない。
陸の叫びと共に、干潟をあとにした。
帰京後、
陸「ドロさわりたかった〜!!」叫び続けている、、、。

 一部の人間の都合、大人の都合で、小さな叫び、声にならない叫びを無視して生きてきてしまっている人間たち、無意識のうちに私もその片棒を担いでしまっているのではないかと考えさせられました。

 いま、水門をゆっくりゆっくり開ければ、問題が起きず、いまある農地にも水を送れ、農民の方々と漁師の方々がけんかすることなく、干潟がもどるのだそうです。
研究を重ねて下さっている学者さんたちの資料を拝見しました。
 案内をして下さった時津さん、全身からほとばしる諫早湾への深い愛情が印象的で忘れられません。
時津さんの諫早湾への愛情に触れることが出来て、、、
『ああ〜!来てよかったな〜!!』と、思いました。

 時津さん、そして時津さんの仲間のみなさま、、、ありがとうございます、、、。

                           有馬理恵&郡山陸

11:27  |  諫早レポート  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
2009.01/13(Tue)

by Matsunobu

長崎に到着して、まず長崎原爆資料館に。静かに悲惨さを語るといった感じの展示を時間をかけて回る。人間の科学に対する探究心と誇示がどれだけ常軌を逸したところまで進んでしまったのか。「戦争という行為」と「常軌を逸した科学力」とを同列に展示することは、逆にそれぞれの展示の意義を不明にしているような気もする。弓矢ならまだしも3000度の熱だから許せないのか?「常軌を逸した科学力」を「戦争という行為」に利用したのだから、あの時に犯された過ちは2つあるのだ。原爆投下の爆心地に建った慰霊碑の真上を見上げる。
 オランダ坂の近くのホテルに投宿。インテリアは中世のヨーロッパを意識したという素敵な雰囲気のホテル。
 2日目は早朝、グラバー園なんぞを見学。横殴りの雪。。。7年ぶりの雪だそうな。でも見上げる空は青いから山側の風花なのだろう。不思議な光景だ。
 9時30分、ガイドの時津さんがたくさんの資料を用意してくださって、まずは大洪水の元凶となった眼鏡橋を見学。台風のたびに流される木の橋に換わり建造された。頑丈過ぎて流木をひっかけたまま立ちはだかり、大洪水を起こしてしまったらしい。技術とは何だ?負の可能性に対する検証の不足。。。
 その後たっぷり諫早の干拓地の様子、潮受け堤防道路、水門を見学。荒涼と広がるタマネギや人参の畑に時折雪が舞い、また晴れ間を見せる。墓場の海が難産のうえ大地に生まれ変わろうとする、そんな苦しみを訴えかけているような寒さだ。青鷺やチョウゲンボウが旋回している蘆の隙間の空。
 長崎県から佐賀県鹿島まで移動。最後に残された見事な干潟。これは奇跡だ。月の引力がもたらす光景に息をのむ。大波のように盛り上がったベルベットのように艶やかな泥のベッド。5月にはムツゴロウたちが現れ、賑やかな干潟になるという。

 原爆と失われた干潟、根は別々のものではない。どちらも人間の踏み越えてはいけない領域を超えてしまった愚かさを刻んだものだ。すべてに共通するものは、眼鏡橋の教訓、人知を超える負の可能性に対する検証の不足であったのではないのか?アインシュタインでさえ、たかが人間の域にある自分を知らなかったのではないのか?「大地は人間のものではない、人間は大地のものである。」古のインディアン酋長の言葉。
22:16  |  諫早レポート  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑
2009.01/13(Tue)

諫早へ行ってきました。

1月11日~12日
次回憲法ミュージカルの舞台となる諫早へ行ってきました。
メンバーは3歳から77歳まで14名。
ガイドしていただいたのは、長崎在住のtokitsuさん。
レンタカー3台での珍道中。
参加者したメンバーからの報告をアップします。
11:52  |  諫早レポート  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑
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